
また、20日日本各大新聞ニュース速報によると、トウ小平氏は十四日未明に 自宅で発作に襲われ、病院に運び込まれた。これに伴って、家族や元秘書の王瑞 林・軍総政治部副主任(中央軍事委員)らが病院で同氏の回復を待ったが、結局、 快方に向かわず、十九日午後九時八分(日本時間同十時八分)に息を引き取った。
江沢民国家主席や李鵬首相らは、トウ氏が病院に運び込まれ危篤状態に陥った との連絡を受け、地方視察を急きょ切り上げ、病院に駆け付けたという。トウ氏 はその後、医師らによる懸命の治療で、一時、持ち直すかに見えたものの、五日 後に死去した。
トウ氏は九四年二月の春節(旧正月)に上海でテレビに登場した後は、市民の 前から姿を消していた。入院しているといわれた北京市内の病院は十九日夜、周 辺を警備車両が固め、通行人の出入りを厳しくチェックし、その中を高級車が次 々に入っていった。
トウ氏は一九0四年八月二十二日、四川省で生まれた。フランス留学中の二四 年に中国共産党欧州支部に入った。中国南部での武装蜂起(ほうき)や三四年の 長征に参加。抗日戦争中は八路軍一二九師団政治委員、国民党との内戦では中原 野戦軍(後の第二野戦軍)の政治委員を務めた。
建国後、副首相(五二年)、党総書記(五六年)と政権の中枢に参画したが、 文化大革命で「資本主義の道を歩む実権派」として、劉少奇国家主席とともに批 判され失脚した。七三年、副首相として復活したものの、文革末期の七六年、「 走資派」として江青・毛沢東夫人ら四人組の攻撃を受けて再び失脚。その後、毛 沢東氏が死去、四人組が逮捕され、七七年に党副主席で復活した。さらに華国鋒 党主席から実権を奪った。
七八年十二月の党中央委全体会議(十一期三中全会)で改革・開放の方針を決 め、経済建設重視の路線を敷くことに成功した。しかし、後継者とみられた胡耀 邦、趙紫陽両氏はいずれも民主化にからんで失脚。八九年六月、天安門事件後に 開かれた党中央委全体会議(十三期四中全会)で江沢民氏を総書記に抜てきし、 改革・開放に積極的な後継体制づくりを進めてきた。
計画経済、市場経済を問わず、経済制度はイデオロギーと無関係の中性的なも のと考え、社会主義国中国に市場経済を大胆に導入した。党はその思考を「中国 の特色ある社会主義を建設するトウ小平氏の理論」と呼び、現在も国家建設の指 針としている。現実的かつ柔軟な思考が本領で、九七年の香港返還問題でも十分 に発揮。「一国二制度」という大胆な国家形態での返還実現を進めた。しかし、 政治の民主化には一貫して否定的で、八九年の天安門民主化運動も武力で弾圧し た。中国は、経済は改革、政治は保守という独特の体制を続けてきた。経済発展 に伴う地域格差や意識の多元化が進むなか、トウ氏の死去後もこの体制が続けら れるかどうか、注目される。
トウ氏は七八年、日中平和友好条約批准書交換のため初めて日本を訪問。七九 年にも米国からの帰途、日本を訪れた。
その上で、首相は今後の日中関係に関して「良好なる日中関係はアジア・太平 洋地域ひいては世界の平和と安定にとりますます重要となっており、私は中国の 指導者と協力して日中友好関係の長期にわたる安定的発展のために一層の努力を 続けていく」との考えを表明した。
日本財界はトウ小平氏の死去について、「中国の歴史に一時代を画した巨人の 死」(稲葉興作・日本商工会議所会頭)と厳粛に受け止めている。だが、トウ氏 の進めた改革・開放路線は既に定着しており、後継指導者問題や日中関係にも大 きな混乱はないとの見方が大勢を占めている。
豊田章一郎・経団連会長は「中国の今日の経済発展は、トウ氏の断行した改革 ・開放路線に負うところが大きい」と功績を高く評価。「トウ氏の死後も中国の 基本路線は変更されることはなく、中国経済は引き続き成長を遂げる」との見解 を示した。
日中関係への影響については「トウ氏の路線は定着しており、日本の経済界に 与える影響は大きいものではないのではないか。日中間に築かれた政治的、経済 的な信頼関係は維持される。中国は既に江沢民国家主席を中心とした集団指導体 制へ移行しており、社会主義市場経済の確立を目指した改革路線に大きな変更は ない」と多く
声明はさらに、英国との香港返還交渉にも触れ、「一国二制度という構想を体 現した八四年の共同宣言取りまとめにつながるプロセスで主要な役割を果たした 」と述べている。
一方、ワシントン19日時事の報道によると、クリントン米大統領は十九日、滞 在先のマサチューセッツ州ボストンで声明を出し、中国のトウ小平氏の死去に悲 しみを表明するとともに、「世界を舞台にした非凡な人物で、米中関係正常化を 推進した」と同氏をたたえた。 同大統領はこの中で、トウ氏の改革・開放路線 のおかげで中国は生活水準向上と近代化をおおむね達成し、国際社会で重要な役 割を演ずるようになったと称賛した。
さらに、中国が大国として政治的に安定し、経済的開放を進め、人権と法治主 義を尊重し、安全な国際秩序の構築に全面参加することが米国と世界の利益にな ると述べ、中国現指導部による改革・開放路線の継承と発展に期待を表明した。
【毛沢東・文革関連】
▽毛主席は文革期に小さくない過ちを犯し、党と国家と人民に多くの不幸をも たらした(80・3 イタリア人記者のインタビューで)
▽(江青女史らの)四人組は十一年ないし十二年にわたって進歩を妨害した。 その損害を克服するのに二十年ないし三十年掛かろう(77・10 AFP通信との 会見で)
▽きょうもデモ、あすもデモと三百六十五日デモをしていたら、とても経済建 設などと言っておられない(89・2 ブッシュ米大統領に)
▽いかなるものにも絶対の自由はない。腐敗した文学や芸術は許さない。例え ばおしりを振るだけのロックンロールダンスは認めない(77・10 AFP通信と の会見で)
▽この風波は遅かれ早かれやってきた。これは国際的大状況と中国自身の小状 況によって決定されたことだ(89・6 武力鎮圧後、解放軍幹部への講話で)
▽中国は制裁を恐れない。制裁はとどのつまりは制裁者自身にはね返ってこよ う(89・9 伊東正義日中友好議連会長に)
▽日米安保や自衛隊増強は当然のことだ。軍縮や平和を言うからには、自衛力 を備えていなくてはおかしい(同福田赳夫首相との会談で)
▽中国は今、日本から資金や技術を得たい。しかし五十年、百年先を見ると、 中国が日本にあげられるものが多いのではないだろうか(87・6 日中定期閣僚 会議で)
▽一に党を恐れ、二に大衆を恐れ、三に民主党派を恐れるのはよいことだ(同)
▽一部の同志は、若い人は経験が足りず任に堪えないと心配している。しかし 思い出してほしい。われわれの多くが大幹部となり、大きな仕事をしたのも、初 めは二、三十歳ではなかったか(80・8 政治局会議で)
▽権力を乱用し、民衆から離れ、口ばかりで実行せず、責任を負わず、信用を 守らず、役人風を吹かせ、上を欺き下をだまし、わいろをむさぼり、法を曲げる など。これが官僚主義の主な現象と危害だ(同)(肩書はいずれも当時)(北京 時事)
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